【モバマス×化物語】阿良々木暦「ななルナ」

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1:◆8HmEy52dzA 2014/09/16(火) 19:37:37.06 ID:sCBd7Qvo0

3: 2014/09/16(火) 19:43:41.62

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僕と安部菜々とを巡る物語を語る前に、唐突ではあるが神について少々言及することにしよう。

まず、僕は無神教であることを前提に置いて欲しい。
この国では大半の人間が無神教だとは思うが、これは現代においても世界視点で俯瞰するとかなり珍しい方だ。
神なんてものは地域ごとの文化、歴史、風土的特徴など様々な要素を組み合わせた上で長い時間をかけ醸成されるものだから一概には言えないのだが、日本はその中でも異色を放っている。

日本では無神教と言うよりは八百万の神という記述が古事記に見られるように、あらゆる全てに神が宿る、という考えが根付いている為、どちらかと言えば超多神教に近い。
神は崇めるものではなく、身近にあるものということだ。
それが現代になるにつれ、機械やテクノロジーの導入により人工物が氾濫したことで身近な神への意識が薄れて行った結果、無神教に繋がったのだろう。

絶対神がいないため、いつの間にか濃度が薄れて霧散してしまったのだ。
クリスマスやバレンタインなんかが最たる例だ。
騒げれば何でもいい、なんて国民性が良く出ている。
敬虔なクリスチャンからしたら怒られても致し方あるまい。

そも神とは、敬い畏れられる絶対的存在でありながら人によって作られた、人がいなければ存在すら許されない、ある意味矛盾を孕んだ存在だ。
彼らは全知全能とまでは行かずとも、明らかに人よりも優れたキャパシティを持ちながらも人に依存している。
とはいえ、人も神に依存することは少なくとも有象無象の願いや祈りを一方的に託したりしているから、その辺りはお互い様ということで済ませてしまおう。

先程僕は無神教と言ったが、無神教と神を信じないことは別だ。
なんせ僕には知人に神が、過去形も含めれば三人もいる。

実在するものを信じないも何もない。
あの口達者な小学生・八九寺でさえ今や一廉の神様だ。
知人から神が輩出したことについては鼻が高い……というわけではないのだが、知人が三人も神様だという人間は世界広しと言えども僕くらいではないだろうか。


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